「進藤晶子のBelieve in」 その2
2月16日に放送されたラジオ番組
「進藤晶子のBelieve in」の後半です。
ここからは、ゲストの方が人生で出会い、信じてきた大切な言葉を教えていただきます。
え~、玉三郎さんの大切な言葉、教えてください~。
はい、これ「方丈記」の言葉なんですけども、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しく止まり(とどまり)たる例(ためし)なし。」
う~ん、聞きごたえがありますね。
あの、年齢のこともあるんでしょうかねぇ。何かいろんな大きな喜びがあっても、
大きな悲しみがあっても、久しくとどまらないと思うことによって、
次に行けるっていう思いがありますねぇ。
ふ~ん、久しくとどまらない。
まあだから、とどまらないというか、かつ消え、かつ結びてですから、
なくなっちゃうこともあるけど、また生まれる。
で、あのほんとに河が流れているのはずっと永遠に流れている気がするんだけども、
水はまったく違う。そこに消えるものもあるけども、また生まれるものがある。
素晴らしいものが生まれても、必ず消える。そのことによってね、あきらめるんではなくて、
あ、そういうものなんだなって思えることによって明日を迎える方が気持ちが浄化される
気がするんですね。なんか、あの、幸せが来たとしますよね。
明日ももっと幸せ、明後日ももっと幸せと思うよりも、いずれは消えるかもしれないな、と思って、
あ、今日は消えなかった、で、次の時に消えたとしても、消えるものなんだし、
また生まれるかもしれないからって思うことによって、時間を過ごすことできませんかねぇ。
うーん、それができると、いいですね。
だから、世の中っていうものをこの数行で、そういうものなんだなって思いつつ、
自分の前後っていうものを静観することはできませんけども、さわさわ心が騒ぎながら
考えなくて済むっていうことですね。
うーーーーーーーん、幸せでいるコツでもあるんでしょうか。
そうですね、でも、幸せってなんでしょうかね。あの、僕の人生はね押しなべて幸せでした。
今、考えると。でも、今現在、この時点で考えると、幸せかどうかっていうことを
そんなに限定して判断できないじゃないですか。こういう考え方からしたら幸せだけど、
こっから考えたらさみしかったかもしれない、と思うことがあるので、
そんなに幸せか不幸かっていう言葉で、括れないですね。
そこにこだわりすぎる必要もないのかもしれないですね。
あんまり僕、こだわってことないんですね。だからね僕ね、残念ながら大変みなさんに
申し訳ないんですけどね、大きく喜んでる姿ってあまり見せたことないと思うんです。
周りの近い方もそうですか?
そうですね、たぶん。そのかわり大きく悲しんでる姿もあまり見せないわけじゃないんですけど、
たまにしかないと思います。起伏がないと言ったらいいのかな。実際舞台でね、
喜んだり悲しんだりしてるじゃないですか僕達の仕事って。
ですから普段、そういう起伏が少ないと思いますね。
ふ~~~~~~ん。あの、玉三郎さんをご存知の近い方、たとえば歌舞伎俳優ですとか
長唄とかお囃子や舞台美術の方なんかもあのだいたいがおっしゃっているのですが、
細部にも妥協しない完璧主義な方と。ご自身は、どう思われますか?
完璧も無いと思ってるんです。残念ながら。完璧に近いものも少ないと思っています。
より良いものは、あるけれど。
うーーーん、追い求めていらっしゃらない?追い求めているけれど?
追い求めなければ、毎日過ごせません。はい。なんか禅問答みたい(笑)
わっはははは。でも、面白い。たとえばじゃ、これも無いって
思うかもしれませんけれど心が焦ったり?
あ、それはあります。
それはどういう時ですか?
うまくできるかしら、とか。みんなと相談して幕を開けたけども、言ってしまったことによって
緊張して、開いてから上手くいかないんじゃないかとか。ですから、緊張しますね。
そういう気持ちとの、上手な付き合い方って何ですか?
あきらめることですね。
あきらめることですか。それは、ここまで来たんだから、もうやっちゃえ。
というか、やっちゃえって随分、こう雑なあきらめですよね(笑)これしかないな、って。
腹をくくる?
それもないですね。
あははは、ことごとく違う(笑)
これ以上は仕方がないんじゃない、だって、最大を尽くしたんだから、ってあきらめ方でしょうか。
ふ~~ん、それを重ねていくと、じゃ、何かが見えてくるんでしょうか。
見えることもあるけども、かつ消え、かつ結びて。
なぜ、歌舞伎の世界に入られることになったんでしょうか。
舞台に上がることが好きだったからだと思いますね。舞台に立つことが
好きだったかどうかはわかりません、当時子供ですから。踊ることが好きだったし
身体を動かすことが好きだった、それからしいて言えば音楽に合わせて動くことが
好きでしたね。それが舞台に立つことになってしまって、実際はね、
そうなったら自分が今やってるかどうかわかりませんけれども、
見ててくれなくても良かったんです、僕の中で。ただ、偶然に人前に出されたってことが、
僕の運命だったと思います。だから、ほんとに苦しい時があるとですね、
人に見せないで踊りたいと思うことがありますね。
違うものですか?
だって、失敗したっていいんですもの。勝手に踊ってれば。
14才で襲名されてから、もう50年近く。
もうちょっとで、誕生日が来れば50年ですね。アッという間でしたけど。
いま、このお仕事をなさっている醍醐味を感じられるときって、どういう時ですか?
やはり、大勢のお客様に観ていただいて、評判が悪くなかった時、ですね。
でも、久しくとどまりたるためしなし、ですから。
おほほほほ、はい。
だから大きな喜びはあっても、次にどうなるかは、わからないですね。ですから、
幕が閉じて、ほんとにみんなでおめでとうって言い合うことを、心から、
思ってるんですけどお、動作に出さないで来ましたね。
出してはならないと思って来たのが習慣になってしまって、そこでいいと思ってしまったら
終わりだから、次があると思っているので、ひょっとしたら冷たく感じるかもしれませんね。
あの悪い気は全然ないんです。だから、打ち上げとかで喜べないんですよね。
それとまたね、連続でお仕事いただいてましたから、打ち上げで身体壊すと
次の稽古が出来ないので、あるところで、消えます。
それがクセになってしまいました。すごくね、聖人君主みたいなすごい生活を
していると思いますでしょうけど、実はあんまり身体が強くなかったので、
そうならざるを得なかったんですね。だから全然、自分としては真面目にやるつもりも
なかったんです。そうしないと、次に支障をきたしたってことが、実際だったと思います。
いやーでも私、一度、玉三郎さんの日常生活をすこーしだけ
鶴の恩返しじゃないですけど覗いてみたい気がします。
あのもし鶴の恩返しだとしたらですね、機を織ってばかりいて
ガチャンガチャンとずっといってて見てて飽きると思います。
あはははは。そうですか、いや、飽きてみたいです。
というわけで、時間にするとこの部分で8分51秒なんですが
またまた長くなっちゃいました。
(わたし)
玉三郎さんの大切にしている「方丈記」の言葉を聞いて
いろんなインスピレーションを刺激されました。
「河が流れているのはずっと永遠に流れている気がするんだけども、
水はまったく違う。そこに消えるものもあるけども、また生まれるものがある」
まず、水はまったく違う、ということに気づきがありました。
固定観念で見ている自分を、見つめる目を持つのを忘れてはいけないのだな、って。
お花見で桜を見ている時にもこの水のことが浮かんで、桜の花も毎年、
花開いて満開になるけれども、昨年とは全く違う花が咲いているんだよなぁ、って。
花が散ってからの一年間、桜の木は止まっているように見えるけれども、
けっしてそうではなくて、黙って変化を遂げているんですよね。
人間の細胞もかつ消え、かつ結びて、で、あらゆるものは常に変化し続けていて、
人は「永遠」というものに憧れるからこそ、その変化を柔軟に受け止めることで、
心が安らかになるものなのかな、と。心の持ちようが、大切なんですね。
「見ててくれなくても良かったんです、僕の中で。ただ、偶然に人前に出されたってことが、
僕の運命だったと思います」
これは、見せてくれなくちゃ困りました。ひとりで踊っているだけじゃ
もったいない(笑)とういか、人前に出されて、本当に良かったです!
「動作に出さないで来ましたね。 出してはならないと思って来たのが
習慣になってしまって、そこでいいと思ってしまったら 終わりだから、
次があると思っているので、ひょっとしたら冷たく感じるかもしれませんね」
まったく逆で、そこに人間味を感じてしまいます。冷たくなんて感じないです。
次の舞台のために誠心誠意、勤めていらした玉三郎さんの心を感じます。
ガチャンガチャンと機を織り続ける玉三郎さん、見てみたいです。
もうひとつ写真がありました。
http://www.tbs.co.jp/radio/believe/ps/20140223.html
「進藤晶子のBelieve in」の後半です。
ここからは、ゲストの方が人生で出会い、信じてきた大切な言葉を教えていただきます。
え~、玉三郎さんの大切な言葉、教えてください~。
はい、これ「方丈記」の言葉なんですけども、「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しく止まり(とどまり)たる例(ためし)なし。」
う~ん、聞きごたえがありますね。
あの、年齢のこともあるんでしょうかねぇ。何かいろんな大きな喜びがあっても、
大きな悲しみがあっても、久しくとどまらないと思うことによって、
次に行けるっていう思いがありますねぇ。
ふ~ん、久しくとどまらない。
まあだから、とどまらないというか、かつ消え、かつ結びてですから、
なくなっちゃうこともあるけど、また生まれる。
で、あのほんとに河が流れているのはずっと永遠に流れている気がするんだけども、
水はまったく違う。そこに消えるものもあるけども、また生まれるものがある。
素晴らしいものが生まれても、必ず消える。そのことによってね、あきらめるんではなくて、
あ、そういうものなんだなって思えることによって明日を迎える方が気持ちが浄化される
気がするんですね。なんか、あの、幸せが来たとしますよね。
明日ももっと幸せ、明後日ももっと幸せと思うよりも、いずれは消えるかもしれないな、と思って、
あ、今日は消えなかった、で、次の時に消えたとしても、消えるものなんだし、
また生まれるかもしれないからって思うことによって、時間を過ごすことできませんかねぇ。
うーん、それができると、いいですね。
だから、世の中っていうものをこの数行で、そういうものなんだなって思いつつ、
自分の前後っていうものを静観することはできませんけども、さわさわ心が騒ぎながら
考えなくて済むっていうことですね。
うーーーーーーーん、幸せでいるコツでもあるんでしょうか。
そうですね、でも、幸せってなんでしょうかね。あの、僕の人生はね押しなべて幸せでした。
今、考えると。でも、今現在、この時点で考えると、幸せかどうかっていうことを
そんなに限定して判断できないじゃないですか。こういう考え方からしたら幸せだけど、
こっから考えたらさみしかったかもしれない、と思うことがあるので、
そんなに幸せか不幸かっていう言葉で、括れないですね。
そこにこだわりすぎる必要もないのかもしれないですね。
あんまり僕、こだわってことないんですね。だからね僕ね、残念ながら大変みなさんに
申し訳ないんですけどね、大きく喜んでる姿ってあまり見せたことないと思うんです。
周りの近い方もそうですか?
そうですね、たぶん。そのかわり大きく悲しんでる姿もあまり見せないわけじゃないんですけど、
たまにしかないと思います。起伏がないと言ったらいいのかな。実際舞台でね、
喜んだり悲しんだりしてるじゃないですか僕達の仕事って。
ですから普段、そういう起伏が少ないと思いますね。
ふ~~~~~~ん。あの、玉三郎さんをご存知の近い方、たとえば歌舞伎俳優ですとか
長唄とかお囃子や舞台美術の方なんかもあのだいたいがおっしゃっているのですが、
細部にも妥協しない完璧主義な方と。ご自身は、どう思われますか?
完璧も無いと思ってるんです。残念ながら。完璧に近いものも少ないと思っています。
より良いものは、あるけれど。
うーーーん、追い求めていらっしゃらない?追い求めているけれど?
追い求めなければ、毎日過ごせません。はい。なんか禅問答みたい(笑)
わっはははは。でも、面白い。たとえばじゃ、これも無いって
思うかもしれませんけれど心が焦ったり?
あ、それはあります。
それはどういう時ですか?
うまくできるかしら、とか。みんなと相談して幕を開けたけども、言ってしまったことによって
緊張して、開いてから上手くいかないんじゃないかとか。ですから、緊張しますね。
そういう気持ちとの、上手な付き合い方って何ですか?
あきらめることですね。
あきらめることですか。それは、ここまで来たんだから、もうやっちゃえ。
というか、やっちゃえって随分、こう雑なあきらめですよね(笑)これしかないな、って。
腹をくくる?
それもないですね。
あははは、ことごとく違う(笑)
これ以上は仕方がないんじゃない、だって、最大を尽くしたんだから、ってあきらめ方でしょうか。
ふ~~ん、それを重ねていくと、じゃ、何かが見えてくるんでしょうか。
見えることもあるけども、かつ消え、かつ結びて。
なぜ、歌舞伎の世界に入られることになったんでしょうか。
舞台に上がることが好きだったからだと思いますね。舞台に立つことが
好きだったかどうかはわかりません、当時子供ですから。踊ることが好きだったし
身体を動かすことが好きだった、それからしいて言えば音楽に合わせて動くことが
好きでしたね。それが舞台に立つことになってしまって、実際はね、
そうなったら自分が今やってるかどうかわかりませんけれども、
見ててくれなくても良かったんです、僕の中で。ただ、偶然に人前に出されたってことが、
僕の運命だったと思います。だから、ほんとに苦しい時があるとですね、
人に見せないで踊りたいと思うことがありますね。
違うものですか?
だって、失敗したっていいんですもの。勝手に踊ってれば。
14才で襲名されてから、もう50年近く。
もうちょっとで、誕生日が来れば50年ですね。アッという間でしたけど。
いま、このお仕事をなさっている醍醐味を感じられるときって、どういう時ですか?
やはり、大勢のお客様に観ていただいて、評判が悪くなかった時、ですね。
でも、久しくとどまりたるためしなし、ですから。
おほほほほ、はい。
だから大きな喜びはあっても、次にどうなるかは、わからないですね。ですから、
幕が閉じて、ほんとにみんなでおめでとうって言い合うことを、心から、
思ってるんですけどお、動作に出さないで来ましたね。
出してはならないと思って来たのが習慣になってしまって、そこでいいと思ってしまったら
終わりだから、次があると思っているので、ひょっとしたら冷たく感じるかもしれませんね。
あの悪い気は全然ないんです。だから、打ち上げとかで喜べないんですよね。
それとまたね、連続でお仕事いただいてましたから、打ち上げで身体壊すと
次の稽古が出来ないので、あるところで、消えます。
それがクセになってしまいました。すごくね、聖人君主みたいなすごい生活を
していると思いますでしょうけど、実はあんまり身体が強くなかったので、
そうならざるを得なかったんですね。だから全然、自分としては真面目にやるつもりも
なかったんです。そうしないと、次に支障をきたしたってことが、実際だったと思います。
いやーでも私、一度、玉三郎さんの日常生活をすこーしだけ
鶴の恩返しじゃないですけど覗いてみたい気がします。
あのもし鶴の恩返しだとしたらですね、機を織ってばかりいて
ガチャンガチャンとずっといってて見てて飽きると思います。
あはははは。そうですか、いや、飽きてみたいです。
というわけで、時間にするとこの部分で8分51秒なんですが
またまた長くなっちゃいました。
(わたし)
玉三郎さんの大切にしている「方丈記」の言葉を聞いて
いろんなインスピレーションを刺激されました。
「河が流れているのはずっと永遠に流れている気がするんだけども、
水はまったく違う。そこに消えるものもあるけども、また生まれるものがある」
まず、水はまったく違う、ということに気づきがありました。
固定観念で見ている自分を、見つめる目を持つのを忘れてはいけないのだな、って。
お花見で桜を見ている時にもこの水のことが浮かんで、桜の花も毎年、
花開いて満開になるけれども、昨年とは全く違う花が咲いているんだよなぁ、って。
花が散ってからの一年間、桜の木は止まっているように見えるけれども、
けっしてそうではなくて、黙って変化を遂げているんですよね。
人間の細胞もかつ消え、かつ結びて、で、あらゆるものは常に変化し続けていて、
人は「永遠」というものに憧れるからこそ、その変化を柔軟に受け止めることで、
心が安らかになるものなのかな、と。心の持ちようが、大切なんですね。
「見ててくれなくても良かったんです、僕の中で。ただ、偶然に人前に出されたってことが、
僕の運命だったと思います」
これは、見せてくれなくちゃ困りました。ひとりで踊っているだけじゃ
もったいない(笑)とういか、人前に出されて、本当に良かったです!
「動作に出さないで来ましたね。 出してはならないと思って来たのが
習慣になってしまって、そこでいいと思ってしまったら 終わりだから、
次があると思っているので、ひょっとしたら冷たく感じるかもしれませんね」
まったく逆で、そこに人間味を感じてしまいます。冷たくなんて感じないです。
次の舞台のために誠心誠意、勤めていらした玉三郎さんの心を感じます。
ガチャンガチャンと機を織り続ける玉三郎さん、見てみたいです。
もうひとつ写真がありました。
http://www.tbs.co.jp/radio/believe/ps/20140223.html