「泉鏡花の世界」@夏の文学教室

7月30日に東京・有楽町の読売ホールで開催された
玉三郎さんと真山仁さんの対談による
夏の文学教室「泉鏡花の世界」のレポートを、
我らが遠征クィーンの京にんじんさんが送ってくださいました。

またしても、とても詳細な様子をお知らせいただき
行った気分、見た気分、聴いた気分になりました。

どうもありがとうございます。こちらに、ご紹介させていただきます。



遅くなりましたが、ご報告いたします。

「世界の旅」新潟コンサートの翌日7月30日、
東京は有楽町よみうりホールで開催された「夏の文学教室」1日目に参加しました。

http://www.bungakukan.or.jp/annai/annai.htm

3コマ目の講師が玉三郎さん、聴き手が真山仁さん、演題は「泉鏡花の世界」。

予定よりも少し遅れて登場の玉三郎さん、ベージュ系の麻のスーツ、
茶色のサンダルシューズ、白いソックス。

白い布でおおったテーブルが二つ、はす向かいに並べられて、
上手に玉三郎さん、下手に真山さん。

玉三郎さん、いつものように姿勢よくスッと椅子にすわり、
手元にはなにもなく、身一つ、記憶だけで、真山さんを迎えます。
コンサートで声がお疲れか、いつもよりも低い声でした。
真山さんは、ときおり用意のメモを見ながら、ご質問。

Q(真山さん) 最初に見た泉鏡花作品は?

A(玉三郎さん) 昭和35年くらい、8歳か9歳の頃、
歌舞伎座でみた「天守物語」。

内容はわからなかったけれど、こわいものがでてきて、
色彩豊かで、理想的な世界がくりひろげられていた、という印象。

10歳くらいまでに、色とか形の好き嫌いは決まって、ずっと変わらない。


Q (玉三郎さんは)戦後の日本の状況とは関係なく、
非常に感覚的に、自分の世界が広がっているという気がする。
高度経済成長期の変化の影響は受けなかったのか。

A 花柳界という“囲われた”(変な意味じゃなくてね、と注釈)環境で育って、
小学校に入ると同時に、歌舞伎という枠の中に入り、歌舞伎座、東横ホール、
第一劇場など、駅から劇場に歩いていくところしか、“高度成長”を知らない。

洗濯機とかテレビとか、家電での高度成長は知っているけれど、
まわりにいた人たちが明治後半の生まれで、高度成長そのものをわりと排除していたので、
高度成長に浸からなかった。

Q 文明を否定しているように聞こえますが、クーラー大好きですよね。

A 自由と言うか、勝手と言うか、都合のいいとこだけ取り入れて・・・
いま、ずいぶん考え直しているところなんですけど。

――― 

“クーラー大好き”とバラされてしまった玉三郎さん。
確かに近頃の夏の暑さは耐え難いですが。

それから、子供のころから蛍光灯が嫌いだったという話になり、
真山さんは、楽屋で、実験を見せられたそうです。
「蛍光灯だと赤が全部同じになってしまった」とのこと。

そして、玉三郎さんがおっしゃるには、「僕にそういう力があるかどうか知りませんけど、
人間にオーラがあるとしたら、蛍光灯だけがそれを消すんですって」

真山さん「玉三郎さんのはオーラ消したかったら蛍光灯当てればいいんだ」

玉三郎さん「オーラがあるかどうかわかりませんけど、できるかぎり、
蛍光灯の下に行かないことです」

あと、「ダイオードとかLEDとかありますけど、あんまり好きではない」と玉三郎さん。

うかがいたかったのです、LEDについてのご意見。ついでに、
蛍光灯の昼光色ではどうでしょう? たぶん、あんまり好きではない、
とおっしゃることでしょう。

―――

Q最初に舞台で演じた鏡花の作品は?

A 「滝の白糸」

Q 鏡花に近づいた、という感じはありましたか?

A 「滝の白糸」「稽古扇」「通夜物語」「辰己巷談」とか、
脚本家がわかりやすく多幕物にした新派の芝居という解釈をしていた。
のちに、鏡花自身の戯曲を演じるようになって、鏡花の世界がよくわかるようになった。
多幕物に鏡花の匂いがあることを理解するようになった。たとえば、「滝の白糸」。
村越欣也との会話で、「欣さん、あーやっぱり欣さんだった、ゴイサギじゃなかった」
「ゴイサギはひとをだますっていうけれど」というところなど、一瞬、
闇の世界が見えてくるところがある。

――― 

「滝の白糸」では、白糸と村越欣也と肉体関係があったかどうか大変問題に
なってるんですけど、という興味深い話題もちょこっと披露されました。

玉三郎さんの新派の舞台は見たことはないのですが、今年11月に、南座で新派公演があり、
「滝の白糸」がかかります。楽しみにしているところです。

――― 

Q 鏡花自身の戯曲を最初に演じたのは?

A 「天守物語」。富姫を27歳のとき。

Q そのときは、やりたかった作品ということで、気分的に高まりましたか?

A そうですね。当時はやっていたブラックシアターを使ったりして、
なんとか不思議な世界を表現しようとしました。天守というのは本来は落城して
切腹するときしか行かない、非常に狭いところなので、歌舞伎座とか日生劇場で
やるというのはもともとウソ。だんだん、不思議な世界を、メカニックなもので
表現するのではなくて、人間の出遣いとか、見えていながら、
お客様がファンタジーを感じるという世界に変わってきました。

Q 天守物語は静かな芝居ですね。

A 鏡花先生の御兄弟は能楽師がいたくらいですから。ですから、
下界以外は、ある種、能楽的な静寂の世界というか。
言葉がちゃんと行きかっていて、飛躍していて、魂がしゃべっている。

Q 魂がしゃべる! なるほどなあ。

  鏡花の世界はファンタジーですが、ドキッとするような、
人間の原罪というか、文明の批判のようなものがつきささるように出ています。
鏡花作品を演じておられて、そういう感じはありますか?

A そこぼくは惹かれるところ。

「天守物語」は、婉曲的な反戦劇。近江之丞桃六は、権力を持つ者、
武器を持つ者を否定している。花と蝶と虹と雲しか肯定していない。
作風の違う戯曲であるが、加藤道夫の「なよたけ」もある種、反戦劇。
なよたけが月にあがっていくのは、人間界にいられないから。
飛躍していて、わかりにくいけれど、ほんとうに何を言っているのか、
全体をみわたせないと、芝居は楽しめない。「なよたけ」は、
6歳か7歳のときにみて、言葉はわからないけれど、真実を求めている恋人たちで、
それが結ばれなくて月にあがっているのをしみじみ感じた。
そのころはやっていたフラフープを月にみたてて、出たり入ったりしました。
黄色いフラフープが大好きだった。

―――

玉三郎さん、「天守物語」を反戦劇とおっしゃりながら、もしかしたら、
「反戦劇ではなくて、人間の完璧な純度の恋愛が持てない話かもしれない、
純度の高い魂が下界の男を選ぶとしたら誰なのかというそいういう話にとってもいい、
でも、幕が下りた時、何か押し寄せてくるものが必ずあるので、
それはゆっくり考えればいいし、考えないで寝ちゃってもいい」ともおっしゃいます。

どう受け取ってもいいけれど、「ほんとうに何を言っているのか、
全体をみわたせないと、芝居は楽しめない」ともおっしゃいます。

ひとそれぞれ、どう感じるのも自由だけれど、真実はひとつ、演じ方はひとつ、
とおっしゃりたいようでもあります。

――― 

Q 鏡花の女性像とは?

A 「女の姿をした凛とした魂」なんです。何歳で、どこの出身かは、
あんまり関係ない。

「天守物語」は、図書之助、富姫を性別逆にしても、そのまま成り立ちます。
「海神別荘」は、逆、海の下にしてある。「海神別荘」のテーマは、
人間が「価値」というものをどう考えるかということ。宝石にも美しさはあるけれど、
価値でものをみてはいけない、そこが非常に若々しい。「天守物語」はむかしは
不入り狂言といわれたけれど、だんだん人気が出てきた。
今後は、「海神別荘」がそうなるでしょう。演劇的にはわかりにくいけれど、
公子と美女の言葉がほんとうにステキです。


Q 「高野聖」は?

A あれは、欲望というものをつきつめて眺めた作品。
その道具として、おじいさんと女がいるだけ。

Q 迷ってしまう坊主だけいればいい?

A 坊主を通して、自分の欲望をどうみるか、です。女も、なんでもない女かもしれない、
聖女であるか、魔女であるか、つきつめちゃいけないんです。

――― 

なんだか、やっぱり、わかったような、わからないような話になってしまいます。


いま、鏡花を読んだり舞台でみると、震災前の頃と違う見方がでているのではないか、
という真山さんの話を受けて、玉三郎さん、「暗い話になるんですけど、
電気料金があがるとか言ってますよね、8.6とか、じゃあ、9%節電できないの、
と僕思いますけど、消せばって。もう節電なんか忘れて、電力を使わない液晶画面だからって、
品川の駅なんかどんどんあって、十分の一しか使わないからといって、十枚あっていいのかって、
こんなことここで言うの、野暮なんですけど、人間は、もうできないんです。
わたしはもう断言してもいい、できないんです。そのことを美しい芝居で言っていけばいい、で、
原発やめてほしいんだったら、まず電気を使わない、原発がいらないほど、
節電して言うべき話じゃないかと。もうそこは、できないんです」

とても熱く語っておられました。節電はできない、原発はなくならない、
のでしょうかねえ、せっせとわたし節電しているのですが。

――― 

Q 鏡花作品でひとつ好きな作品をあげてください

A ふたつにさせてください。「天守物語」と「日本橋」

 「日本橋」もすばらしい。煩悩の世界をつきつめています。
煩悩を見つめるために、伝吾と葛木、お孝と清葉、4人が出てくる。
煩悩を照らす水晶の玉の色を増やして、もう一回照らし直そうというものです。

人間の「侠気」というか、潔さを表現するために、花柳界を借りた。
武士の世界では表現できない。

Q 最後に、お好きなせりふをひとつ、スペシャルプレゼントとして
お願いしようかと。

A 「日本橋」の話題が出ましたので、最後のところ。セリフという感じではなくて。

お孝が硝酸を飲んで死にます。清葉がかけつけて、葛木がそばにいて、すべて解決して、

「清葉さん、そこに笛をお持ちかい」

「いつでも帯に」

「ここで吹いてたむけてください。迦陵頻伽(かりょうびんが)のむかえのように、
その笛の音を聞きながら、死出三途を小唄で越します」

(ここは、鏡花全集を参照しました)

はぁ、と客席からため息が、続いて拍手がさざなみのようにひろがって、お開きになりました。

12月の「日本橋」公演を控えて、そろそろ自主稽古をされておられるのでしょうか。楽しみです。



たっぷりと!どうもありがとうございます。

シネマ歌舞伎の解説で、玉三郎さんは、鏡花作品は
女を通して、鏡花さんの”侠気”が表現されている、とおっしゃっていて
私は、ハッとしました。なるほどー”侠気”だったのか、と。
鏡花の女性像は、「女の姿をした凛とした魂」なんですね。
鏡花から節電の話になるところも、玉三郎さんらしいです。


今日から、鼓童による佐渡のアース・セレブレーションも始まりますね。
「打男」のECバージョンがとても気になります。
こちらも、ご覧になられた方のレポートをお待ちしています

もう夏も、終わってしまいますね。(まだまだ暑い?)

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クーラー

玉三郎さんはクーラーがお好きなんですね。意外でした。

うちにはエアコン、クーラーなるものがありません。
凄い!でしょ。自然の風で過ごしています。
母がリウマチで、冷えが大敵でした。亡くなってもう16年経ちますが、相変わらず使っていません。(存在していません)
だんだん歳をとると昨今の暑さはこたえます。そのうち入れるかもしれません。そうするとその快適さに浸かってしまうでしょうね。(笑)

佐渡のアース・セレブレーション、そのうち行ってみたいけど、佐渡は遠い。^^

夏の文学教室

楽しみにしていたのが、行けなかったので 京にんじんさんのレポート とても嬉しかったです。本当にいつも細部に渡ってお書きいただき、見ているようです。いつも詳しく教えて下さる京にんじんさん。そしてお座敷を作って下さった桔梗さん。改めてありがとうございます。

舞台のために 常に身体を鍛えていらっしゃる玉様には きっとクラーは必需品ですね。
又、人の気持ちを濃縮した戯曲で、人間の欲望を目の当たりになさっている玉様には、節電もせず、原発を拒否する人々の我儘さが見えるのかもしれませんね。

私の母もまるこさんのお母様のようにクーラーがだめで、私も苦手でした。ところが、近年、クーラーが当たり前になっていました。しかし、去年の原発事故で節電を意識し、家人が窓全部に簾をつけたところ、思いのほか、涼しいです。

以前、玉様が書かれたように、まずはできる事から始めて、節電に努めたいですね。

電気を消して

まるこさん

新潟の気温も、東京とそんなに変わらないですよね。
天気予報を見ていると。なのにクーラーなしで
過ごされているなんて、すごい。
湿気がそんなにないのでしょうか。

クーラーなしでは、とても堪えられませんです(あぢぢぢ)

そのかわり、私は、掃除機を使うのをやめました(笑)
壊れちゃって音がうるさいので、箒を使うようになったら
そっちの方が静かで快適で、ストレスもなくて。
ハタキ(母から受け継いだ)と箒とちりとりにはまっちゃいました。
掃くときに茶殻をまくといいと言いますが、まだそこまではしていません(汗)
うちはフローリングと畳だけだからできるのでしょうね。
絨毯があると、やっぱり掃除機じゃないとダメですよね。

あとは、お風呂に入る時に電気を点けないで
キャンドルで入るというのもちょっといいですよ。
闇って落ち着きますよね(相当、疲れているのか私は)
ひとり高野聖と呼んでます。ははは
月夜の灯りだけで入るなんてのもいいですよね。
はたから見たら不気味か。。。

でも、電気を消す、電気を使わない、と、
いろいろ発見があって面白いです。
いいところどりで使ってはいるんですけどね。

アース・セレブレーションも終わってしまいましたね。

簾効果

すみれさん

文学教室はとても興味深い内容ですね。
玉さんの鏡花さんへの造詣の深さがわかります。

簾をするだけでも違いますよね。
昔の日本人が考えた暑さ対策は、粋ですよね。

今はゴーヤ流行りで、グリーンカーテンも
よく見かけますね。あれもいいですよね。
見た目にも涼しいというのがポイントですね。

節電対策を楽しみながらできるといいですね。

風^^

越後も湿気はありますが、周囲が緑ゆえけっこう風が入りますのよ。
もちろん、暑いのは暑いですよ。(笑)

箒とキャンドル、素敵じゃないですか。
星空の下の露天風呂~~~なんて、ロマンチックやなぁ・・・・
あっ、それはありませんね。^^
簾、打ち水、風鈴、釣忍、金魚鉢、かき氷、くずきり、浴衣、花火。
日本の夏は粋です。

高野聖の女・・・・・

勉強になりました。

夏の文学教室、私も参加したのですが抜け落ちているところも多々あったのでこんなに詳細に書いて下さってとても嬉しいです。京にんじんさん、ありがとうございます。

LEDがお好きではないというのが少し意外でした。省エネだしどこかで使ってらっしゃるのかと思っていましたが・・・

山に囲まれた仙台の我が家では、窓を開けて扇風機を回せば暑さはほぼ凌げるのですが、それでもつい手軽なクーラーに頼ってしまいます。

あの窒息しそうな暑さの東京で暮らしていらっしゃる玉様が、自分一人でも節電をすると決めて実行しておられるのは、やっぱり厳しく自らを律してきたからできることなんだろうと思います。

被災地に暮らす者として玉様の節電意識を見習わなくてはならないですね。

グリーン

まるこさん

水を打つだけで、
サーッと清涼な風を感じますよね。
ほんの一瞬ですが。

何とかこの暑さを乗り切って
秋の雨をめざして(ふるあめりか)
がんばらねばーですわね。

高野聖の女。。。じゃなくて
坊さんの方ですね、私は。
それも、なまぐさ坊主。
高野聖じゃないじゃん。

お~っ

すこっぺさん

参加されたのですね、文学教室。
素晴らしいです!
遠征クィーンの仲間入りですね(拍手!)

LEDの色は、しらけますよね。
古びた宿に行き、灯りが電球だーと思って
カサの中を見たらLEDだったことがあって
節電(節約)はわかるが、風情としては惜しい!と
ちょっとがっくりしました。

むずかしいですね。
古き良き時代はやはり舞台の上で
玉三郎さんにやっていただくしかないですかね。。

玉三郎さんは、すでに「東京蜃気楼」の中でも
高度成長の弊害などについても語っていらして
昔から環境破壊のことなど問題意識を強く持って、
世の中を見つめてこられているなと思います。
節電も、今始まったことではなくて
ずっと意識されてやって来られたのでしょうね。

芸術をやるうえで、そういうことはとても重要、とも
常々おっしゃっていますが、そう思いますね。

さて、今日もジリジリ太陽が照りつけていますね。
この太陽光エネルギーを使って家でもエアコンが動かせればねえ。
そうそう簡単にはいきませんねえ。
今日は、図書館行って仕事しようかなあ。
(たぶんデパートで涼んでいる)

こんにちは!

夏の文学教室は国語が苦手だからよく分からないけど
クーラーはホントに暑いときはつけても良いけど
スーパーなど冷房や寒い所で働いてる人なら冷凍庫や食品売り場はギンギンに冷えてるから長袖シャツで働いてます。(>_<)
職場の休憩室に最近クーラーを取り付けたけど25度前後でも寒いようです。
私は数年前まではクーラーは平気だったけどスーパーで働くようになってから冷え症やのどが痛くなるから
長袖シャツを着ないと寒いです。
ホントに暑いときはクーラーを付けるけど
なるべく扇風機やうちわで暑さをしのぐようにしてます。
夏のイベントが終わり9月になっても暑さが続きますね。
玉三郎様の舞台が立て続けにあるから
全部は行き切れないけど取り敢えず、シネマ歌舞伎は行けそうです。
近ければ来月の松竹座に行きたいです。
素顔の玉三郎様は見れても白塗りの玉三郎様にお目にかかってないです!

ヒエヒエ

葵どんさん

スーパーやデパートなどのショップは
今年は、キンキンに冷やしていますよね。
昨年は節電ということでお店でさえ、
エアコンは控えめだった気がします。

客としてちょこっと立ち寄っただけでもブルッと寒いなと
感じることがあるのですから、職場である方たちにとっては
寒いなんてもんじゃーないでしょうね。
長袖シャツなのもわかります。冷えないようにしてください。

9月からシネマ歌舞伎は、「籠釣瓶」ですね。
ちょうど「ふるあめりか」が始まるタイミングですので
玉さん祭りです。
八つ橋さんに逢えるのは嬉しいですね。

葵どんさん、ぜひ松竹座で、白塗りの玉三郎さんに
逢っていらしてくださいね!!

「行間」について

「夏の文学教室」で、真山さんの発した「行間」という言葉について、玉三郎さんから興味深い反論(?)がありました。よく理解できなかったので、先日のまとめではカットしました。こんなやりとりでした。

――― 
真(山) 演じ手は、その本を読み解く力、言葉だけではない、行間にあることを含めて読み取る力があってこそ、魂の声が聞こえるようになってくるのではないか。

玉(三郎) そうですね。真山さんの言葉を逆手にとるつもりもないが、「行間」というのは、わりとヒラタイ言葉で・・・

真 どうもスミマセン。

玉 あ、いや、どういたしまして。小説読むときは、行間といいますが、芝居では、行間を読んでいるということは、作家の心を読んでいるということ。だからそれは非常に統一性のあること。
おけいこというのは、所作、動きと言葉の伝え方以外には、脚本の意味しか話さない。
――― 

「どうもすみません」と真山さんがおっしゃったのはどういうことか、気になっていました。
玉三郎さんの「行間を読んでいるということは、作家の心を読んでいること」に、はっとしました。セリフ、ト書きの「一行一行」の間にみえるのは、隙間ではなく、青い海、と思い至りました。「作家の心」という海に浮かぶセリフたち、という立体的なイメージが広がってきました。

「演劇界」9月号の特別対談特集で、真山さんは「行間」の話から始めます。
この対談は、6月に京都で行われたとのことなので、もしかしたら、玉三郎さんはその時の対談内容をふまえて、芝居の「行間」について、言い足りない思いがあり、整理された形で言い直されたのではないかと思います。真山さんは、「演劇界」のなかでも、なんども「驚いた」と書かれていますが、「文学教室」でも、またもや、驚かされたのではないでしょうか。

「ふるあめりか」のとき、玉三郎さんは松田悟志くんに問い詰められたとおっしゃっていましたが、新しいキャストで、稽古場はさぞかし緊張感がただようことでしょう。

青い海

京にんじんさん

なんと詩的な!青い海、なんですね。

行間の意味は、小説の場合と、戯曲の場合では
ちがってくるってことですよね。。

戯曲の場合は、小説のような隠れた意味ではなくて
表だった、統一性のある意味ということなんでしょうかね。
もやは行間ではない、のですね。
それが玉三郎さんのおしゃるところの
「脚本の意味しか話さない」ということなんでしょうか。
奥が深いでございますね。

玉三郎さんの本の読みこみ方は、
その先の先の、またその奥の奥の方まで
考え抜いて、見通されているように思います。

それなのに、松田さんからの指摘を正面から受けて
ちゃんと反応していく姿勢というのが
これまたスッゲーって、真山さんじゃないけど
私も、驚いてばっかりいるのであります。

京にんじんさん、貴重なコメントをありがとうございます。
プロフィール

桔梗

Author:桔梗
坂東玉三郎さんの 芝居に舞踊に歌唱に舞台演出に 映画監督に朗読に執筆に 歩く姿も潜る姿も後ろ姿も素ッピンも☆☆ すべてに魂を揺さぶられ〜~ 玉さんブラヴォ----ッッッっ!なエブリデイ!

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